潮風の町

松下竜一著
講談社文庫

名もなく貧しく美しく生きる

 松下竜一の「素朴な生活」を綴ったエッセイ集。いや、掌編私小説集。僕はエッセイのつもりで読んでいたが、著者は小説のつもりで書いているようだ。だが、ジャンル分けなどはどうでも良い。「ザ・私小説」とでも名付けたくなるような名品揃いの短編集である。

 豆腐屋を辞めて(自称)小説家になった自分の周辺を書き綴った18編で、素朴で貧しく、(著者を含めて)生きることに不器用な人々が多数出てくる。それぞれの短編ごとに扱っている内容が違うが、どれをとっても昭和の貧しさが迫ってくる。僕の記憶の中でも、昭和という時代(特に30〜40年代)は貧しく厳しい時代だった。そして、この本に登場するような、社会に押しつぶされそうであえいでいるような人々がまわりにたくさんいたように思う。かつて『ALWAYS 三丁目の夕日』という映画の宣伝に「携帯もパソコンもTVもなかったのに、どうしてあんなに楽しかったのだろう。」などというようなキャッチコピーが付けられていたが、そんな脳天気なものではなかったと思う。

 そんな厳しい時代であるにもかかわらず、著者の目線には、子どもに対する愛情や妻を思う心情、周りに対する優しい眼差しがある。そして、それがこちらに伝わってくる。本書で突きつけられる内容は決して甘い現実ではないが、著者の優しい視線に救われる思いがする。

 扱われている内容はどれもさりげない日常ではあるが、劇的な要素も多く、読み物としての面白さも備えている。18編すべてがよくできているわけではないが、総じて水準は非常に高い。まさに「珠玉」という言葉がよく似合う短編集である。文庫版の永島慎二の挿絵も味があってすばらしい。

 ちなみに、最初に収録されている「潮風の町」と最後の「絵本」はかつて中学の教科書に採用されたらしい。「潮風の町」も「絵本」も、どうしようもなく哀しい物語である。

-文学-
本の紹介『あぶらげと恋文』
-社会-
本の紹介『暗闇の思想を』
-社会-
本の紹介『明神の小さな海岸にて』
-社会-
本の紹介『五分の虫、一寸の魂』
-社会-
本の紹介『ルイズ 父にもらいし名は』
-社会-
本の紹介『仕掛けてびっくり 反核パビリオン繁盛記』
-社会-
本の紹介『小さなさかな屋奮戦記』
-文学-
本の紹介『ケンとカンともうひとり』