暗闇の思想を
火電阻止運動の論理

松下竜一著
教養文庫

日本の社会がやっと彼らに追いつき始めた

 松下竜一が、「市民に愛される(気弱な)豆腐屋作家」から、一般市民が眉をひそめるであろう闘う作家になる過程を描いた作。

 居住地の近隣に建設されることが決まった豊前火力発電所に対し、それまでこの手の運動とはまったく関わりを持たなかった著者が、素朴な疑問を感じ始め、反対運動へと身を投じる過程、そしてその反対運動の進捗を描く。

 弱い立場の市民が、自らの直感の正しさを信じ、大企業や行政に異議を唱える姿は共感を呼ぶ。著者らに私利私欲はなく(むしろ私財を投じている)、ただ自分の住環境を守りたいという、それだけの信念で動いている。保守的な住民たちからは孤立し、さまざまな嫌がらせを受け、それでも子ども達のためにとひたすら邁進する。企業側が作り上げた論理(「電気が足りなくなる」など)も一つ一つ検証し、突き崩していく。やがて「環境権」(快適な環境の中で生きる権利)という概念を使い、環境権訴訟にまで踏み切る。

 なお、この後の展開は、『明神の小さな海岸にて』五分の虫、一寸の魂』で詳細に語られていく。

 ちなみに、本書で著者が訴える「暗闇の思想」とは、「電気が足りなくなる」というのなら電気なしで暮らしていこう、今のままで「暗闇」の中で細々と生活していけばいいじゃないかという考え方である。今でこそその価値が見直される先進的な(でありながら素朴な)論理であると思う。

注:
 本書の背景になっている出来事は、1970年代前半から12年に渡って展開された豊前火力発電所建設反対運動で、その際原告は「環境権」を主張することで九州電力を提訴したわけだが、結局最高裁まで審議が進んだ末、原告が敗訴するという結果になった。この「環境権」という概念は当時きわめて斬新な考え方で、それがために司法当局もそれを認めなかったわけだが、現在では中学校の教科書にも明記されている概念になっている。昨年、中学校の公民の参考書でこの用語を目にしたときは、僕自身、非常に驚いたのだった。あの時代のことを思うと、隔世の思いを感じるが、あのときに破壊された豊前海岸の自然はもう以前の状態に戻ることはない。

-社会-
本の紹介『明神の小さな海岸にて』
-社会-
本の紹介『五分の虫、一寸の魂』
-文学-
本の紹介『潮風の町』
-文学-
本の紹介『あぶらげと恋文』
-社会-
本の紹介『ルイズ 父にもらいし名は』
-社会-
本の紹介『仕掛けてびっくり 反核パビリオン繁盛記』
-社会-
本の紹介『小さなさかな屋奮戦記』
-文学-
本の紹介『ケンとカンともうひとり』