太平記 (上)―マンガ日本の古典 (18)
太平記 (中)―マンガ日本の古典 (19)
太平記 (下)―マンガ日本の古典 (20)
さいとう・たかを著
中央公論社
デューク東郷が出てきそうな雰囲気
先日の予告(本の紹介『平家物語 (上)(中)(下)―マンガ日本の古典』)どおり、さいとうたかを版の『太平記』も読んだ。
太平記は、かつて大河ドラマでやっていたときに熱心に見ていたこともあり、マンガを読みながら「大河」の内容を思い出すという過程を踏みながら読むことになった。大河ドラマ、特に最近のものは、学芸会ノリで一般的にあまり好きじゃないが、『太平記』については非常に出色で面白かったという記憶がある。キャストがなかなか振るっていて、真田広之の足利尊氏、高嶋政伸の足利直義、根津甚八の新田義貞、片岡孝夫の後醍醐天皇、原田美枝子の廉子など、どの役者も実にはまっていた。そのため、このマンガを読むときも、いちいち大河のキャストに当てはめながら読むという作業をしていた。
だからといって、このマンガに問題があるわけでは全然ない。さいとうたかをらしく、非常に丁寧によく描かれている。もっとも、これもさいとうたかをらしく、どのキャラクターも非常にバタ臭い。途中デューク東郷(さいとうたかを『ゴルゴ13』の主人公)が出てきそうな雰囲気すら漂う。それはともかく、背景や衣装などが非常に丁寧に描かれているのを見ると、入念に取材しているんだろうと思う。しかもその高いレベルが全三巻、最初から最後まで一貫して続いている。そういう意味でも大した労作で、作者には頭が下がる思いがする。
全体に絵巻物ふうで、その辺は意図してのことだと思うが、そのためもあってコマ割りが大きい。その結果、なんとなくストーリーをさらった印象になっていて多少浅薄さを感じる。もっともこのあたりは原作の『太平記』にも共通なんだろうと思う。あくまで歴史の流れを描く物語であり、絵巻物的な展開にするのが筋といえば筋である。古典の翻案というのはそういうものなんだろうと納得もする。ともかく、横山光輝の『平家物語』同様、充分に堪能できるマンガであった。
ちなみに第1巻の表紙(右上図)に出ている入道は北条高時である(北条高時といえば「大河」の片岡鶴太郎のイメージが強いんだな、これが)。