昨年あたりから、中学校で使われている英語の教科書が良くない(というよりひどい)と感じることが多い。ここで言っているのは、岡山市の公立中学校で等しく採用されている「ニュークラウン(New Crown English Series)」という三省堂の教科書のことで、ニューホライズンやサンシャインについてはよくわからないが、似たり寄ったりではないかと推測される(日本の産業は何でも横並びですからね)。
教科書は数年ごとに改定されるもので、昨年は、英語の学習指導要領が大幅に変わったことから、教科書もかなり改定された。それまでのニュークラウンは必ずしもそれほど悪いものではなく、初学者が使うにはまずまずという印象で、そのためもありこの塾でも小学生に中学英語を教えるときにこの教科書を使ったほどだったが、改訂版については、簡単に採用しようという気にならず、むしろ二の足を踏むぐらいで、それぐらい内容が劣化していると感じる。
構成の問題
たとえば中学1年生の教科書では、最初の課程(Lesson 1)でbe動詞と一般動詞がいきなり一緒に出てきて、まずそれに驚く。前の版までは、be動詞、一般動詞の順に紹介されていたが、小学校で勉強しているから良いだろうという判断なのかも知れないが(現在、小学校から本格的な英語の授業が始まっている)、この項目だけ省略する必然性はない。be動詞と一般動詞を別の単元に分けたところで、教える側にとって大して負担にならないんじゃないか(その上、教わる側の負担はかなり軽減される)という気がする。しかも、Lesson 1の最初はリスニングから始まるようで、いきなり英語を聞かそうというのも、我々の感覚からいくとかなりハードルが高いと感じる。小学校で少しかじっていようが、本格的にヨーロッパ語の勉強を始めるんだから、アルファベットの書き方から始めるのが筋ではないかと思うがどうだろうか。実際、子どもたちの中には、とんでもない書き順でアルファベットを書いている生徒もいるし、もちろん小学校の漢字教育みたいに異常に神経質になる必要もないんだが、左上から右下へという原則ぐらいは守った方が良いんじゃないのと思う(一般的にその方が美しく書ける)。今までかな漢字文化の中で教育を受けていた子どもたちがアルファベット文化の学習をするという、言って見ればコペルニクス的転回とも言える大転換を迎えるわけだから、少なくとも最初は、もう少し丁寧な構成にするのが筋ってもんではないだろうか。
2年生、3年生の教科書の冒頭の項(「Starter」)が、それぞれの学年の最初のレベルから考えると、やけに難しすぎるのも大問題だ。
内容の問題
また2年生、3年生の教科書についても、スキット(会話文)が異常に多く、読解力を養うという点でははなはだ心もとない。しかもその内容が非常に幼稚だったりする。内容ももう少し改善が必要と感じる。
たとえば中学3年生の教科書の終わりの方の単元(Lesson 6)に、次のようなスキットがある(日本語に訳しています)。
Lesson 6 Get1(ケイトと陸の会話)
ケイト:何を読んでるの?
陸:科学者がタイムマシンを発明して未来を旅行する小説。
ケイト:かっこいい。もしタイムマシンを持ってたら、あなたならどうする?
陸:もしタイムマシンがあったらね、過去に行くよ。恐竜を見たいな。
まるで小学校低学年の会話である。Lesson 6のGet2もなかなかすごい。
Lesson 6 Get2(ジンの卒業スピーチの内容)
私の猫のベッキーはいつもミャーと鳴きます。
いつもはベッキーが何を言ってるかわかりますが、取り乱してるときはわかりません。
ベッキーは文句を言っているようですが、確かなことはわかりません。
だから、将来、私は通訳アプリを作れればいいなと思います。
そうしたら、ベッキーも感情を私に伝えられるし、私たちはもっとわかりあえると思います。
これが(フィクションであるにしても)中学生の卒業スピーチとは! 中身が乏しすぎやしませんか。中学3年生もよほど舐められたものだと思う。
内容面では、やたらに日本文化の礼賛が多いのが気になる。かつての英語教科書は、海外への扉みたいな役割を果たしていて、英語が海外を知るための手段としての位置付けだったが、今は日本を売り込むための手段という位置付けになっているのだろうか。もしそういう人材を作りたいと行政が考えているんだったら、お門違いではないだろうか。自国の文化が素晴らしいことを主張し続ける狭量な人間が増えたところで、国際舞台では総スカンを食らうのが請け合いである。
日本文化を勉強させたいってんなら国語や美術でやるのが筋ってもんで、「日本のアニメは素晴らしい」とか英語で主張する意味があるのかと思う。こういう教材を見ると、日本中が思考停止に陥っているような気さえする。
外国語の勉強を始める際の教科書は、継続するモチベーションを生み出すという点で重要な存在であり、見た目ばかりきれいで(アニメ風の挿絵がふんだんに使われている)内容が乏しい教材は論外と言わざるを得ない。日本文学者のドナルド・キーン氏は、日本語を勉強し始めた頃、『標準日本語讀本』、いわゆる「ナガヌマ・リーダー」を使用して勉強したらしいが、1年間でかなり多様な日本語の知識を吸収できたと語っている。ことほどさように、外国語の教科書は決してないがしろにして良いものではない。
レベルの不適切さ、単語訳のまずさ
この新版ニュークラウンには、他にも問題が多く、突然難解な構文が出てきたり、同じく難解な単語が出てきたり、かと思うと単語訳がトンチンカンだったりということもままある。
たとえば、中2の教科書に出てくる文章。
For example, they use drones to monitor crops and sensors to collect data twenty-four hours a day.
drones to monitor …とsensors to collect …が同格になっていて、文章としては非常にきれいな文章ではあるが、初学者には難しい文章と言える。少なくとも中2の序盤で教わる文章としては不適切である。しかもその周りの文章はプリミティブなものだったりして、他の文章との間にバランスの悪さを感じる。
単語については、achieve、interpreter、ridiculousなど(3年生の教科書)、かつては大学受験レベルだった単語が平気で使われていたりする(ホントの意味でリディキュラスだ)。しかも、familiarに「よく知っている」、adaptに「変える」(3年生の教科書)、organizeに「計画して準備する」、deeplyに「非常に」(2年生の教科書)などという訳語が(教科書の注で)当てられているのも噴飯ものである。確かにそういう風に解釈した方が良い場合もあるが、この意味で憶えてしまうと、その単語の本当の意味合いが見えてこないと言わざるを得ない。こんな訳を当てないと文章の辻褄が合わないというのであれば、別のもっと易しい単語(たとえばorganize → prepare、deeply → very muchなど)を(作り手は)使うべきだと思う。こういった点で、全体的に、配慮の足りなさ、作りのいい加減さが目に付くのが今回の改訂版ニュークラウンである。
こういった厄介な教科書を使うというのであれば、教える側(つまり中学校の英語の先生)が、それなりの配慮をしなければならないと思う。中学の先生には、こういったさまざまな問題を踏まえた上で、生徒を正しい方向に導いてほしいと切に願うものである。
参考: