愛する源氏物語

俵万智著
文春文庫

紫が 人の気持ちになりきりて
詠みも詠みたり 八百首かな

 歌人の俵万智による『源氏物語』論。中でも『源氏物語』中に出てくる和歌に着目するというのが本書の特徴である。元々は雑誌連載だったようで、35編構成になっている。

 『源氏物語』五十四帖には、ここ一番という場で和歌が登場し、登場する和歌は合計で795首に上る。当然すべての和歌が、作者、紫式部のオリジナルで、しかも和歌を詠む登場人物に合わせてすべて詠み分けているというのが俵万智の主張である。

 だが、数ある『源氏物語』の現代語訳版、マンガ翻案版では、和歌の扱い方に差異があり、訳語を書いたものもある他、内容について一切触れていないものもあるらしい。和歌の解釈は欲しいが、訳語を併記するというのも物語の流れを妨げてしまうという点で、少々問題が残る。一方で、和歌を味わうことができなければ、『源氏物語』の本当の面白さまでたどり着けないと著者は考える。こういういきさつから、歌人である著者は、『源氏物語』の和歌を現代語で短歌に翻案するというアクロバットを試みた。あわせて、その和歌が詠まれた状況、紫式部がその和歌に託した登場人物の心情などについても分析するというのが、本書の主旨である。

 内容については、『源氏物語』の魅力が余すところなく語られていて非常に面白い部分もあるが、しかし登場人物に感情移入しているような箇所については、僕などは読んでいて途端に白けてしまうのである。作者や実在の人物への感情移入は論を進める上で必要だと思うが、たとえば(架空の人物である)源氏が詠んだ歌に対して「それはないだろう」などとツッコミを入れたりする箇所が、特に後半多いんだが、こういった登場人物への感情移入については大いに気恥ずかしさを感じる。おままごとみたいな感覚と言えばおわかりいただけるだろうか。

 また、俵万智訳の短歌(「万智訳」とされているもの)も、言葉遣いが通俗的すぎて美しくないものが多い。元の和歌の意味はとれるが、少々はしたなさを感じる訳が多いのも難点である。

 ただ末摘花すえつむはな近江おうみの君の和歌がわざと下手に作られているとか(特に末摘花の和歌の分析が秀逸〈「末摘花のボキャ貧」、「ああ、からころも」の2編〉)、六条御息所ろくじょうのみやすどころの品位の解説〈「恋の分かれ道」〉とか、なかなか面白い分析もある。総じて、前半は分析的、後半は感情移入過多で情緒的という印象である。前に本書を読んでみたとき、前半を読んだ段階で飽きてしまったのも恐らくそのせいではないかと思う。「万智訳」の短歌同様、それぞれの編も玉石混交で、特に後半は、息切れしたせいか知らないが、質が低いと感じた。

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