私と20世紀のクロニクル

ドナルド・キーン著、角地幸男訳
中央公論新社

日本の出版界と文壇での
キーン氏の破格の扱いについてあらためて知る

 『Chronicles of My Life』の日本語訳版である。内容については、あちらの本を(原文で)読んで概ね把握できていたため、当然のことながら目新しい事実はまったくない。

 こちらの本に接して初めて知ったのは、初出が讀賣新聞の連載だったということと本書が2007年に刊行されたということである。さらには翻訳版がハードカバーで豪華なのも目を引く。原書が安っぽいペーパーバックだったのと比較すると、ドナルド・キーンの日本国内での扱いが破格であることが窺われる。もちろん内容も非常に充実しており買って読むだけの価値はあると思うが、ただやはりキーン氏が日本国内、それから中央公論社で大切にされている存在であることは確かで、それは本書の記述からもよく伝わってくる。

 そもそもの始まりは、京都で最初に親しくなった日本人、永井道雄(その後文部大臣になる学者)のつてで中央公論社社長の嶋中鵬二に巡り合え、それから中央公論社との親しい付き合いが始まったことであった。また中央公論社以外にも、朝日新聞の嘱託を務めたり、それから数多くの日本人作家(三島由紀夫や安部公房ら)とも親しく交わっていることから、少なくとも日本の出版界では大いに受け入れられた存在だったのは間違いない。キーン氏の人柄やその審美眼が高く評価されていたことは当然であるが、やはり戦後、日本国内で欧米コンプレックスが強かった時代に日本文化を評価したアメリカ人であったことから、当時の文化人たちに歓迎されたんだろうと思う。そのあたりも本書の記述から窺われる。

 ただキーン氏自身は、こういった邂逅やあるいは自身の経歴について「信じられないほど幸運だった」と振り返っている。人の人生はもちろん運・不運の要素が大きいわけだが、素晴らしい人物というものは、自分の経歴を幸運と感じ、その事実を受け入れる能力があるような気がする。彼もそれに当てはまるのだろう。キーン氏の仕事を知っている身としては、その破格な才能にまったく疑問を感じることはないが、彼が日本の出版界で非常に大切にされていたことは確かである。改めて考えると、それだけの人物を評価し才能を受け入れたという点で、当時の出版界や文壇にも先見の明があったと言えるのかも知れない。

 本書でも触れられているが、この書の後、キーン氏は足利義政と渡辺崋山についての評論を発表している。足利義政については、本書と同様、中央公論新社からハードカバーで刊行されているようだ(こちらも本書の巻末の広告で知った)。いずれ機会があったら読んでみたいと思う。

-英語-
本の紹介『Chronicles of My Life』
-随筆-
本の紹介『ドナルド・キーン自伝』
-評論-
本の紹介『思い出の作家たち』
-文学-
本の紹介『ドナルド・キーン わたしの日本語修行』
-評論-
本の紹介『日本人の質問』
-文学-
本の紹介『「ニューヨーク・タイムズ」のドナルド・キーン』
-文学-
本の紹介『日本人の美意識』
-評論-
本の紹介『日本語の美』
-評論-
本の紹介『百代の過客』
-文学-
本の紹介『百代の過客〈続〉』
-日本史-
本の紹介『明治天皇〈一〉』
-文学-
本の紹介『日本文学史 近世篇〈一〉』