日本文学史 近代・現代篇〈七〉
ドナルド・キーン著
中公文庫
日本近代短歌・俳句史の入門書として最適
ドナルド・キーンの畢生の大作、『日本文学史』。これまで、『日本文学史 近代・現代篇〈二〉』まで読み進めていたが、日本の短歌、俳句の歴史に興味が湧いたことから、『近代・現代篇〈三〉』を読む前に、先に『近代・現代篇〈七〉』を読むことにした。ちなみに〈七〉では俳句・短歌を、〈八〉では近代詩を、〈九〉では芝居や戯曲を扱っている。〈三〉から〈六〉までは、通年の散文の文学史である。
この第七巻は、「短歌」、「俳句」の2つの章に大きく分かれており、時代順にその歴史を追っている。
短歌という名称は明治以降に登場した用語で、言うまでもなくそれまでは「和歌」と呼ばれていた。江戸・明治初期までの和歌の世界はもとより保守的でしかも変わりばえしないものだったため(『本の紹介「日本文学史 近世篇〈三〉」』を参照)、明治に入るとその保守性が疎んじられるようになり、旧弊なものとして片付けられる風潮があった。そんな中で和歌の旧弊な伝統を抜け出て、明治の時代にふさわしい新しい思潮の短歌を生み出そうとする作家たちが現れる。落合直文、与謝野鉄幹、与謝野晶子が嚆矢となり、それに続き北原白秋、若山牧水が登場。彼らの影響を受けた、石川啄木の自然主義的短歌が一つのピークを形成する。一方で、鉄幹の『明星』派の思潮に異議を唱えたのが正岡子規で、それに続く、伊藤左千夫、長塚節、島木赤彦、さらに斎藤茂吉へと続く流れができる。明治以降の短歌界は、こうして大きな潮流が形成され、それが今に繋がっている。
一方の俳句についても、短歌(和歌)と似たような理由で、当初は芸術的価値が低いものと見なされており、近代西洋文学と比べ、劣ったものという扱いだった。こういう背景において、俳句革新運動が起こり、その中でもっとも際立った活動をしたのが、短歌同様、正岡子規である。正岡子規は写生を旨とする俳句を提唱し、その弟子、高浜虚子と河東碧梧桐がその後継として俳句の創作を続ける。当初、河東碧梧桐が有季定型にこだわらない独創的な俳句(「新傾向俳句」と呼ばれる)を作り、それが人気を集めるが、その後、それに対する反動として高浜虚子の有季定型の伝統回帰が主流となり、それが今の俳句会の主流派に連なる。一方で碧梧桐の影響を受けた自由律俳句の尾崎放哉や種田山頭火なども現れるが、これが主流になることはなく、虚子の流れを汲みながらもやがて雑誌『ホトトギス』(虚子が創設した雑誌)と決別していった水原秋桜子、山口誓子、川端茅舎らが、新しい潮流を作っていく。さらにその後、中村草田男、加藤楸邨らの人間探求派が注目を集めるようになる。俳句の歴史を簡単にまとめてしまえば、この程度のことだが、本書では、それぞれの作家や要素について、逐一細かく記述しているため、日本の近代短歌・俳句史を一望できるようになっている。
僕自身にとっても知らない事項が多く、いろいろと参考になったが、韻文や文学にとりわけ関心のある向きには、非常に有用な書ではないかと思う。特にこの第七巻は、『日本文学史』の他の巻との関連性があまりなく、独立した書になっているため、この本を単独で読んでも戸惑うことがない。それを考えると、本書の価値は一層高くなると言うことができる。