宇治拾遺物語

中島悦次校注
角川ソフィア文庫

長年の本願を成就
日本の古典文学は奥深い

 鎌倉時代の説話集『宇治拾遺うじしゅうい物語』に、いわゆる「児子のそら寝」という話がある(ある夜比叡山の修行僧たちが、ぼた餅を作ることになって、ある児子〈幹部候補の小坊主〉がそれに気付いて心待ちにしている。やっとできあがった段階で、ある僧がこの児子を呼んだが、一度で答えるといかにも待っていたかのようで体裁が悪い、もう一度声をかけられてから返事しようと思い寝たふりをしていたところ、「寝ているようだから起こすな」という他の僧の声が聞こえ、それ以降呼ばれなかった。児子は出て行きたいのに出られない、そのうち僧たちの食べ始める音が聞こえる、仕方がないのでしばらくしてから「はい」と答える……という話)。僕は高校生のときに初めてこの話に触れたんだが、裏をかいたような細かい心理描写に感心し、大学に行ったあかつきにはこういった国文学を専門に勉強したいことであるよなあなどと考えていたのであった。この「児子のそら寝」、今では高校の教科書に必ずと言って良いほど出ていて、珍しいものではなくなった。だがいくらポピュラーになったからといってその価値が衰えるわけではない。しかし僕はといえば、あの時に志を立てたものの、いまだに『宇治拾遺物語』にはごく一部しか触れていない。いずれは通しで読んでみようと考えながらも、すでに早40年が過ぎようとしているというのだから「少年老い易く学成り難し」とはよく言ったものである。要するに、僕にとって特別な存在だった『宇治拾遺物語』を、今回とうとう通しで読んだという話なのである。

 『宇治拾遺物語』は、成立年ははっきりわかっていないが、おそらく鎌倉時代前期に編まれたと考えられている説話集である。古今東西の面白い話を集めるというコンセプトの文学で、『日本霊異記りょういき』や『今昔物語集』などに連なる作品である。『宇治拾遺物語』という著作名は、同じ説話集の『宇治大納言物語』(現存しない)に収録されていない説話を拾い集めたという意味で付けられたとされている。また、『宇治拾遺物語』のいくつかのエピソードは、芥川龍之介が短編小説に翻案したことでも有名で、『芋粥』『地獄変』、『竜』などがその題材になっている。このような説話、全196話が、全十五巻(ただしこれも版によって異なる)で編成されている、というそういう作品である。

 この角川ソフィア文庫版では、底本として、江戸時代中期に出版された大判の写本が採用されている(代表的な寛永古版本・万治二年板本と同等の内容)。一部訂正されているが、当て字もかなり残されたまま収録されており、1つの話の中で登場人物の名前の表記が変わっていることもたびたびある。だがそのせいで、古語がどのように変遷してきたか、その一端が窺えるような部分も見えてきたりして、かえって興味深い。基本的に原文のみで、訳文はない。訳文のある文庫本(講談社学術文庫版)もあるが上下二分冊でしかもそれぞれ800ページ以上と結構な大著になる(ちなみに本書も360ページを越す)。訳文はもちろんあった方が読みやすいが、本書については、ある程度訳注が付けられており、読んでいれば古語にも馴染んでくるんで、古文であっても概ね内容はわかる。どうしてもわからない箇所もあるが、その場合は古語辞典やネットで調べれば容易に知ることができるので、訳文は必ずしも必要ではないと個人的には感じる。古文と言っても日本語なのであるからして、あまり気負わずに臨んだら良いという気はする。それに本書にはしっかりした索引も付いていて大変親切である。

 さて、全部で196話もあれば、面白い話もあるし、何が面白いのかよくわからない話があるのも当然。僕にとってはさすがに「児ノカイ餅スルニ空寝シタル事」(巻一の十二:いわゆる「児子のそら寝」)に匹敵するものはなかったが、それでもそれに迫るものはかなりあり、内容はかなり充実している。中でも、「鬼ニ瘤取ラルル事」(巻一の三)、「雀報恩ノ事」(巻三の十六)、「長谷寺参籠ノ男利生ニ預カル事」(巻七の五)は僕にとって予想外だった話で、それぞれおとぎ話の瘤取り爺さん、舌切り雀、わらしべ長者のオリジナルの話である。このオリジナルが説話であることはそれなりに知られているらしいが、僕はまったく知らなかったんで(室町時代の『御伽草子』あたりではないかと思っていた)、読みながら気付いたとき、大いに驚いた。また「僧伽多羅刹国ニ行ク事」(巻六の九)は、女の国に渡って取り殺されそうになった商人の話で、ちょっとしたスペクタクルが楽しめる。さらに、「伴大納言応天門ヲ焼ク事」(巻十の一)は応天門の変、「河内守頼信平忠恒ヲ攻ムル事」(巻十一の四)は平忠常の乱、「清見原天皇大友皇子ニ与スル合戦ノ事」(巻十五の一)は壬申の乱をそれぞれ描いたもので、一種の歴史物であり、さながら見てきたか聞いてきたかのように描かれているため、臨場感がある。空也や慶滋保胤よししげのやすたねなど、日本史の教科書に出てくる人物も、同時代の身近な存在として登場するため、親近感を感じる。超人陰陽師おんみょうじ、安倍晴明が活躍する話もいくつかある。

 内容はこのようにきわめて多彩で、しかも『日本霊異記』や『今昔物語集』と異なり大和言葉がベース(この二著は漢文ベース)になっていて比較的読みやすいため、説話集にアプローチする際は入門として『宇治拾遺物語』が格好の素材になるのは確かである。しかもこれを全部読み通したということになると満足感もひとしおである。いろいろと発見もあり、手元に置いて何度も読んでみたいと感じさせるような本である。今回のように通しで読めば、日本の古典文学の奥深さをあらためて感じさせられたりもするものである。

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