ニッポンのサイズ
身体ではかる尺貫法

石川英輔著
講談社文庫

度量衡から江戸の生活と考え方を探る

 大江戸ブームの火付け役である石川英輔の著書。

 元々雑誌連載(雑誌『なごみ』の「ニッポンのサイズ」)をまとめたもので、全18章構成になっている(ということは連載は全18回だったと想像できる)。江戸時代に使われていた度量衡、つまり測定の単位がテーマになっていて、さまざまな単位、たとえばしゃくこくもんめなどがどういう単位だったのか、どのようないきさつで使われるようになったのかなどの他、現代とのつながりも紹介されていく。(四畳半とかの)じょうつぼなど現代でも使われている単位はもちろんだが、鯨尺くじらじゃくなど現代ではあまり使われない単位まで、かなりの範囲が網羅されていて、非常に勉強になる。

 なんでもこういった単位の多くは、律令時代に唐から導入され、その後実質的な値が随時変動してきた(多くは増えてきた)んだという。また業界ごとに大きさが違う単位なんかもあって(建築業界の曲尺かねじゃくとアパレル業界の鯨尺くじらじゃく)、現代的な感覚で言うとややこしいったらない。だが著者によると、元々違う業界で流通している(名前だけが共通の)単位なので混同されることはほとんどなく、混乱はなかったという。現代のメートル法に慣れた感覚から考えるとおかしく感じるが、確かにそれで良いと言われるとそれでも良さそう。

 そもそもメートルという値は19世紀に地球の子午線の4000万分の1の長さとして決められたものであり、一方で伝統的な度量衡は人間の感覚から生じたような単位であるため、成り立ちからしてまったく違う。メートル法がきわめて厳密な単位であるのに比べて、伝統的な度量衡は随分感覚的で、時代によって変動したりもしている。一尺が親指と人差し指を広げた程度の長さであったり、一里が人が1時間で歩ける距離であったりなどという話を聞くと、ものさしや時計がなくても概ね長さが推測できるような単位になっているのに感心する。また江戸時代でよく使われていた(米の)一こくという単位が、1人が1年食べて暮らせる量というのも驚きである。つまり加賀百万石という場合、加賀藩は100万人の人口を養える経済力があったことを示していることになる。

 また現代使われているグレゴリオ暦と旧暦の比較も非常に面白い。旧暦は太陽太陰暦であり、太陽暦と太陰暦を組み合わせたシステムである。今の暦と比べると、うるう月があったりして現代人の感覚からはややこしく感じるが、実際のところは生活に根ざしていた暦であって、農業や漁業に非常に適した暦であったという説も目からウロコである。それは時刻についても同様で、江戸時代のように季節によって1単位の長さが変わっても、むしろその方が便利であるという考え方も新鮮。随所に石川英輔の主張が押し出され、しかも分かっているようでよく分からない度量衡の単位がよくわかる、著者の他の『大江戸』シリーズに匹敵する画期的な本である。是非手元に置いて随時参照したいと思わせる本である。実際僕は、図書館で借りた後、買って手元に置いている。

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